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東京地方裁判所 平成5年(ワ)15046号 判決

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

理由

一  請求原因1ないし3の事実は当事者間に争いがない。

なお、《証拠略》によると、本件契約の締結日は平成五年五月二八日で、契約金額は一八〇万円であり、後日塗装代四万八〇〇〇円が追加注文されたことが認められる。

二  被告の主位的主張について

本件契約が法に定める「訪問販売」に該当し、同法二条の「指定役務」の提供契約に該当すること、法五条及び法施行規則三条、五条、六条の規定により原告が被告に交付すべき書面につき絶対的記載事項を脱漏したことは、当事者間に争いがない。そうすると、法五条の書面は交付されていないことになり、法六条一項一号の起算日は進行しないというべきであるから、被告は、同項に基づき、本件契約を解除(クーリング・オフ)することができることになり、《証拠略》によれば、被告は、平成六年二月四日発信の書面で、法六条一項の規定に基づき、原告に対し本件契約を解除する旨の意思表示をしたことが認められる。

そこで、原告の主張する解除権の濫用について検討する。

《証拠略》を総合すると、次の事実が認められ(る。)《証拠判断略》

1  株式会社イナテム(以下「イナテム」という)の社員渡部博邦(以下「渡部」という)ほか一名は、平成五年五月二二日、被告宅を訪問し、在宅した被告ら家族にアルミ外壁工事を勧め、二八〇万円の見積りをした。翌二三日、被告の妻がイナテム綿糸町支店に電話し、右工事を断つたところ、渡部は当日夕方再び被告宅を訪問し、断つた理由を尋ねたため、被告の妻は、二〇〇万円以下なら現金で支払うが、イナテムの見積りでは値段が高いとの説明をした。

渡部は、同日夜、原告会社社員飛田勝一(以下「飛田」という)に対し、二八〇万円の見積りで被告から断られたが、二〇〇万円以下なら現金で支払うと言つていた旨を電話で伝えた。なお、飛田は、平成四年八月に原告会社に入社するまで、二か月程イナテムに勤務していた。

2  飛田は、被告宅の下見をして工事代金を二三五万九七〇九円とする見積書を作成したうえ、平成五年五月二六日頃、被告宅を訪問し、在宅した被告ら家族に、「イナテムの渡部から聞いた。原告は材料の問屋なのでイナテムより安くできる。」と申し向け、右見積書を示して「これを一八〇万円にする。」と持ち掛けた。そこで、被告は本件工事を原告に依頼することに決め、支払方法については、頭金を八〇万円として着工日に支払い、残金一〇〇万円は住宅金融公庫の住宅改良資金を借り入れ、その融資が決定するまでの間、株式会社ライフのローンを利用することになつた。

飛田は、同月二八日、再び被告宅を訪れ、飛田が持参した原告との間の購入申込契約書、株式会社ライフに対するライフホームパートナーローン申込書、住宅金融公庫に対する住宅改良資金借入申込書、保証委託契約申込書、団体信用生命保険申込書に、被告はそれぞれ署名押印をした。右書類はいずれも複写式になつており、飛田は各一部を被告に交付した。

その後、飛田は渡部に紹介料を支払い、被告の原告に対する代金支払方法が右のとおりであることを伝えた。

3  本件工事が着工された後の同年六月一八日、飛田は被告の妻に頭金八〇万円の支払日を問い合わせたところ、同月二一日午後に現金を用意するとのことであつた。その際、飛田は、頭金八〇万円は、原告の本社の者が集金に行く旨を伝えた。飛田は原告代表者にその旨連絡したが、右二一日は月曜日で原告の定休日に当たるため、翌二二日に飛田と原告代表者が被告方に集金に行くことに決めた。しかし、集金日を変更したことは被告に伝えなかつた。

4  同月二〇日、被告宅を覗き込む男性がいたため、被告の妻が声を掛けると、このアルミ外壁工事を自分も発注したいので、発注先を教えて欲しいとのことであつたので、被告の妻は、月曜日に原告の社員が集金に来るので話してみると答えた。飛田は、被告らの家族に、他の客を紹介すれば紹介料を支払うことを約束していた。

なお、右男性は、その容貌からイナテムの社員であり、集金日を探りに来たものと考えられる。

5  同月二一日午前、被告の妻は銀行に連絡し、預金を解約して届けてくれるよう依頼し、まもなく銀行員が被告宅に金を持参した。

同日朝、被告の長男の妻が子供を幼稚園に連れて行く途中、被告宅近くの駐車場にベンツが停まり、その中に前日来た男性に極めてよく似た人物がいるのを目撃した。その他に二人の男性が車の中や周辺におり、この二人(後にイナテムの代表取締役と判明した男性ともう一人)は、被告宅前を徘徊し、様子を窺つていた。

被告が同日午後一時半頃家を出ると、後にイナテムの代表取締役と判明した男性が被告に話しかけてきて、「新井さんですね。仕事ですか。ダイキンのワタナベが集金に来ましたか。」と尋ねたので、被告は「まだ来ていない。」と答えた。

その直後、もう一人の男性が被告宅を訪ね、被告の妻に対し、「ダイキンのワタナベですが、集金に来ました。」と申し向けたので、被告の妻が「いくらですか。」と尋ねると「八〇万円です。」と答えたので、被告の妻は飛田から聞いた原告の本社の者に間違いないものと思い、現金八〇万円を渡し、領収書を要求すると、その男性は「車の中に入れてあるので取つてきます。」と言い残しそのまま車で逃走した。

被告の妻はその直後に原告事務所に電話し、原告代表者に対し、領収書を渡さなかつたことを告げると、原告代表者は、「それはおかしい。うちは明日飛田を二人で伺う予定でいる。」と述べた。

6  翌二二日朝、被告は、本件工事のため出向いてきた大工に仕事をやめて帰るように言い、更に、原告代表者に電話して「ダイキンもグルで詐欺をしているのだろう。工事は解約するからすべて取り払つて持つて帰つてくれ」と要求した。これに対し、原告代表者は「工事をやらして欲しい。損はさせない。」と述べ、更にその後、原告代表者と飛田は被告宅を訪れ、同じように工事の続行を求めたので、被告は残金一〇〇万円と追加塗装工事代四万八〇〇〇円のみ支払う前提で再度原告に工事を依頼した。

その後、被告宅にライフから貸付けについて確認の電話があつたが、被告は融資申込みを断り、住宅金融公庫に対しても融資申込手続を取り消した。

7  同年七月一〇日付で原告から被告に対し、一八四万八〇〇〇円の請求書が届けられたが、被告は約束が違うとしてその支払を拒んだ。

8  原告の本訴提起後、被告訴訟代理人は、原告の告げたイナテムの事務所を捜したが、事務所を発見するには至らなかつた。

ところで、原告の役務は平成五年七月八日既に完了しており、被告は、役務の内容についての不履行や瑕疵等を理由にクーリング・オフをする権利を行使するものではない。

また、本件契約は同年五月二八日に締結され、原告が同年八月一〇日本訴を提起したのに対し、被告は、当初原告の共同不法行為により損害が生じたとして相殺を主張し(後に主張を撤回)、クーリング・オフを行使したのは平成六年二月四日で、右契約締結から八か月を経過した後である。

しかしながら、法六条が定めるクーリング・オフの制度は、訪問販売の販売形態をとる取引の場合には、購入者等の購入意思が不確定、不安定なまま契約の締結が行われる場合があり、これがトラブルの一因ともなつているため、一定の期間、債務不履行や瑕疵等の解除事由がなくても、損害賠償等の請求を受けることなく、無条件で契約の解除等をすることを認めたものである。

そして、訪問販売においては、購入者等が取引条件を確認しないまま取引行為をしてしまつたり、取引条件が曖昧であるため後日両当事者間のトラブルを引き起こしたりすることが多いため、取引条件が不明確なため後にトラブルを惹起するおそれのある場合について、取引条件を明らかにした書面を、契約の申込み及び締結の段階で購入者等に交付するよう役務提供事業者に義務付けており(法四条、五条)、役務の対価の支払時期及び方法についても交付書面の必要的記載事項としている。

前記認定の事実によれば、被告は、八〇万円を詐取された時点で、原告に対し本件契約の解除を申し入れており、当時は未だ本件工事の途中であつた。また、被告が本件工事の続行を了承したのは、原告代表者らが右八〇万円の件について損をさせない旨述べたことによるものである。

被告が八〇万円を詐取され、原告に本件契約の解除を申し入れた時点で、原告は、書面の交付は義務付けられてはいないが、右法の趣旨に照らし、被告が工事を続行するか、取り止めるかを判断できるよう再度被告が支払うべき金額を明示し、本件代金一八四万八〇〇〇円全額を請求するのであれば、その旨を明確に被告に伝えるべきであつた。

ところが、原告がこの点を明確にせず、損はさせないと述べて、工事の続行を勧めたことから、被告が八〇万円を除いた残額を支払えばよいものと判断し、工事の続行を了承した。この時点で、原告が八〇万円を控除しない旨を明らかにしておれば、被告が工事の続行を了承することはなかつたと考えられる。

このように、原告は代金の支払についてトラブルを生じさせる原因を作り出したということができ、このような場合、法五条の書面が交付されておらず、クーリング・オフをする権利が留保されている被告に、その行使を制限することは相当でない。

また、前記認定の原告会社社員飛田はもとイナテムの社員であつたこと、イナテムの渡部は、被告がイナテムの工事を断つた理由を確かめ、被告が二〇〇万円以下であれば注文する可能性のあることを飛田に告げていること、飛田は、わざわざ二三五万九七〇九円の見積書を作成しながら、右渡部から教えられたように二〇〇万円以下の額を提示していること、飛田は、渡部に紹介料を支払い、被告の原告に対する代金支払方法を告げていること、飛田は、被告の妻に支払日を確認し、集金に飛田本人ではなく原告の本社の者が訪問する旨告げながら、原告代表者との間で、集金日を変更したうえ、原告代表者と二人で集金に行くことに決め、そのことを被告に伝達していないこと、頭金八〇万円は本件契約締結時点では着工日に支払うことになつており、平成五年六月一一日に着工しながら、右頭金の支払がなく、右頭金が八〇万円であることを、イナテムは知つていたこと等の事実によれば、本件取引は、当初原告とイナテムとの密接かつ不明朗な連携から始まつたものであり、原告とイナテムとの関係は極めて密接なもののあることが窺われ、そのような取引関係の中でイナテムによる詐取が行われており、これについて原告の共同不法行為の事実が立証されるまでには至つていないが、原告とイナテムの右のような関係が詐取を引き起こした一因となつていることは否定できず、この点でも原告は、代金の支払について被告との間でトラブルを生じさせる原因を作り出したということができる。

そうすると、本件において被告が留保されているクーリング・オフをする権利を行使したことは、権利の濫用に当たるとはいえない。

三  以上の次第で、原告の本訴請求は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 森高重久)

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